山谷が奉じる「聖書根本主義に基づく宗教文化多元主義」という世界観の神学的妥当性について考察するブログです。

ポスト・エヴァンジェリカリズムの神学

ポスト・エヴァンジェリカリズムの神学について、山谷が思い描いている姿です。

1.神学とは何か?

神学とは、キリストに結ばれた者たちが、(1)キリストと、(2)キリストのからだと、(3)キリストが統治する世界とを、キリストの眼で見、知り、理解し、愛すること。その結果、キリストに結ばれた者たちが、キリストに仕え、キリストのからだに仕え、キリストが統治する世界に仕える者になる。

それゆえ、神学は、「キリスト者の実存」を規定するものである。

2.神学の出発点は、「キリストに結ばれた者」である。

受肉者キリストの人格において、「神性と人性」「恩寵と自然」「予定と予知」「決定論と非決定論」「精神と物質」「自由と機械」という二項対立図式は超克されている。

(1)キリストは宇宙における唯一の結合点である。
(2)神学は、キリストという結合点を介して、二項対立図式を超克した仕方で、対象を認識することができる。
(3)神学の対象は、キリストと、キリストのからだと、キリストが統治する世界とである。
(4)キリストは、キリストに結ばれた者にとって「実在」である。
(5)キリストのからだは、キリストに結ばれた者にとって「実在」である。
(6)キリストが創造し、保持し、統治している世界は、キリストに結ばれた者にとって「実在」である。

それゆえ、キリストに結ばれた者にとって、万物が「実在」であり、万物が神学の対象となり得る。

3.神学の第一の対象は「キリスト」である。

キリストは
(1)聖書によって、あかしされ、
(2)聖霊によって、あかしされ、
(3)キリストに似た者となる途上の者たち(聖徒たち)によって、あかしされ、
(4)キリストのからだなる教会が宣べ伝える使信によって、あかしされ、
(5)キリストのからだなる教会の愛の実践によって、あかしされる。

それゆえ、神学は、聖書に聴き、聖霊に聴き、聖徒たちに聴き、教会の使信に聴き、愛の実践に聴くことによって、キリストを見、知り、理解し、愛し、そして、仕えようとする。

4.神学の第二の対象は「キリストのからだ」である。

キリストのからだなる教会は
(1)キリストをかしらとし、
(2)多様な肢体から成り、
(3)キリストの愛の広さ・長さ・高さ・深さを知って成熟することを目指しており、
(4)キリストの再臨によって完成される。

それゆえ、神学は、キリストに聴き、多様な肢体から聴き、聖徒たちが到達した霊的成熟の深さから聴き、キリスト再臨へ顔をまっすぐに向ける希望に生きることによって、キリストのからだを見、知り、理解し、愛し、そして、仕えようとする。

5.神学の第三の対象は「キリストが創造し、保持し、統治している世界」である。

キリストが創造し、保持し、統治している世界は、キリスト者にとって
(1)キリストに愛されている実在であり、
(2)キリストという結合点を介して正しく認識することが可能な対象であり、
(3)世界が提供するものを、キリストの王的統治の賜物として受け取り、感謝して利用することができ、
(4)キリストのからだなる教会が使信を宣べ伝える対象であり、
(5)キリストのからだなる教会が愛の実践を行う対象であり、
(6)キリストのからだなる教会がその中を旅しつつ、そこから新たな肢体を獲得する「場」である。

それゆえ、神学は、世界に対して敬意をもって接し、二項対立図式に陥ることなく世界を認識し、世界が提供するすべての「良いもの」「正しいもの」「徳となるもの」をキリストと良心とのために適切に用いることによって、世界を見、知り、理解し、愛し、そして、仕えようとする。

すなわち、使信をより良く世界に伝え、愛の奉仕をより良く世界に行うために、世の中にありながらも世のものではないような仕方によって、教会は仕えようとする。

結び

こうして、教会は、世界に対して適切に使信を宣べ伝え、すべての隣人に対して適切に愛の実践を行い、人々をキリストに導いて、キリストのからだなる教会が全世界に立て上げられ、キリストの満ち満ちた身丈にまで成長し、キリストの栄光の再臨によって完成される。


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